元夫の話(7)子を生む女としての消費期限

産婦人科で切迫流産と告げられ、涙も出ない状態で帰宅。
その後元夫から言われた一言によって、離婚後も苦しめられることになりました。

女としての消費期限を切られる

産婦人科での診察が終わり、涙が出ない状況で帰宅。シゲが仕事から帰ってくるのを待っていました。

シゲが帰ってきてから重い口を開きました。
シゲ「病院行ってどうだった?」
関「切迫流産だって。お腹の赤ちゃん死んじゃった。育てられなくてごめんね」
ごめん、と言った瞬間、今まで出なかった涙がボロボロと溢れてきました。シゲに伝えたことで自分の中で閉じ込めていた悲しい気持ちが解放されてしまって、それが涙になって出てきてしまいました。けれど私が泣き始める前に既にシゲが声を上げて泣いていました。
そして言われた一言によって私の涙が引っ込むことになります。
 
シゲ「俺、30歳までに子どもできなかったららららと離婚したい」
子どものようにわんわんと泣き喚きながらそう言われました。
今苦しいのはこっちの方。出血は止まらなくてお腹は痛いし、マトモに働けないし、赤ちゃんが流れてしまった精神的な苦痛もあるのに、それに追い打ちをかけるように言われて、一瞬涙が止まりました。
 
関「今肉体的にも精神的にも辛い思いをしてるのは私なのに、なんでそんなこと言うの!?信じられない!!」
そう吐き捨て、私は真っ先に姑に電話をかけました。自分が切迫流産したこと、孫の顔を見せられなくて申し訳ないこと、そしてシゲから言われたこと。姑は怒ってすぐにシゲに電話がかかり、電話越しに自分の母親から説教を受けるシゲを見ることになりました。姑はシゲの話曰く油を排水溝に普通に捨てたり、生乾きの服をクローゼットに干したりするようですが、姑の説教内容は理に適っていたものでした。姑も流産経験者だったようです。
この時の年齢は27歳。あと3年以内に子どもができなければ離婚。私は女としての消費期限を切られたと思いました。既に自腹出費のカードと消費者金融への支払いでカツカツな状態だったのでこの生活は長く続けられないとは思っていましたが、それよりも自尊心を傷つけられたことに腹が立ち、それからシゲを恨むようになりました。そんなに子どもが欲しいなら他の人と作ればいいじゃないか、と。
けれど30歳までしか子どもを生む女の価値がないのかと悲しくなり、出血が終わるまでの間仕事も有休で休むことになりましたが、しばらく家でふさぎ込む日々が続きました。

仕事復帰するものの地元にとんぼ返り

切迫流産のダメージが回復するまで休みを取っていましたが、職場の人員補填が限界なのと、店長の奥さんが臨月で出産予定日が間近のため、店長の代わりに出勤してほしいと連絡が来ました。

シゲだけの給料だけでは生活できないので、残業をしてでも働かなければいけません。全然本調子ではありませんでしたが、仕事復帰し、滞留している業務を残業してこなしました。なんと店長の奥さんは私と同じ産婦人科に通っていたようで、私が仕事復帰して間もなく出産となりました。
仕事復帰して間もなく、シゲから研修期間が1年短くなって地元に帰れるようになったと言われました。本来であれば研修期間は2年ですが、仕事ぶりが認められ1年で地元の支店への配属が決まったようです。私はすぐに店長とSVに事情を伝え、地元に帰る引っ越しの準備をすることになりました。
また、人手不足で残業続きだったこと、初期妊娠中も出勤を強制させたことに関してはSVから謝罪がありました(部長からお達しがあったようです)
なお地元に帰るための引っ越しはシゲの会社持ちではなくて、またこちら持ちでした…。シゲがお金がないというので、私がカードを切って全額負担することに。体は全く本調子ではないものの、切迫流産から15日後に丸1年暮らした福島から地元に帰ることになりました。